urawa stray sheep
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久しぶりの駒場・・・
埼スタがメインとなって久しく、スタジアム内の開けた視界が懐かしくも新鮮に思えた。 だからかもしれないけどほんの少しだけ、まだ駒場しかなかった頃の思い出と共に、 つい先ごろ読んだスポーツ雑誌ナンバー679号(オシムが表紙で、ちょっとした浦和とG大阪の対比のようなものが2ページほど割かれている)の中の 浦和・現GKコーチの土田尚史の現役時代を振り返るコメントが思い浮かんだ。 「ずいぶんブーイングされた。でも、それは単に負けたからじゃなかったと俺は思う。ブーイングされるのは、気持ちの入っていない試合をして負けたとき。たとえ負けても、俺らがファイトしてたらアイツらはブーイングしなかったよ」 「逆に辛いときもあったけどな、勝てない時とか、自分がつまらないプレーをした時とか、控えGKのコールされたりしてさ。でも表現の仕方はそうだけど、レッズに勝って欲しいってメッセージだから、それは」 J2降格時、「誰ひとり、罵声を浴びせるヤツなんていない。『1年で戻るぞ!』、『来年も一緒に戦おうぜ!』って励ましてくれる。なんでこの人たちはこうなんだろうって、不思議だった」 当時のサポーター、サポートに対する彼なりのコメント、想いが簡潔につづられ、またサポーターサイドのゴールエンドを背に立つ事を希望することに拘っていた事などが書かれていた。 あの時、土田尚史は背中に何を感じたのだろうか? 今に比べたら、あの当時のサポートはまだまだ、洗練されてもおらず、荒削りで効果的でもなかったかもしれないし、今よりも恐らく野次やブーイングも多かったように思う。 それでも彼はそこに”何か”感じていたように思う。”何か”を 埼玉スタジアムを使用するようになり、当たり前の様に観客動員数は上がりサポーターの数は増え、サポートの”スタイル”は洗練され、一見の見栄えは美しくなり、客観的見るからのビッククラブと呼ばれても外見上差し支えないように今の浦和はなりつつある。 野次やブーイングだって成績に相対する部分も有るとは思うが、辛らつなものは以前に比べれば激減していると思うし、良くも悪くも温厚でマナー良くなっていると思う。 少なくとも形の上では・・・ 今の浦和の選手達は「土田尚史」が現役時代感じた”何か”または”メッセージ”を感じているのだろうか? 時々、僕は不安になる 今の浦和のサポーター、サポートは洗練され、一つの形を成し、一つの美意識を構築している。 でも肝心の”何か””メッセージ”は伝わっているのだろうか? あの時、洗練されてもおらず、荒削りで、不器用であり、決して美しくもなかったかもしれないが、あの時のサポート、チャント、コール、そしてスタジアムにはサポーターの発散する”本音” 形や美しさを度返した、本当に望む者の、サポーターの”本音”は迸っていたように思う。 形やスタイルや美しさ、今の浦和はもう十分出来ていると思う。 でも僕は最近、あの当時の叫びにも似た本音を、スタジアムで感じることは無い 叫ぶような、悲鳴にも似た、心から欲する・・・ 「柄の部分に綺麗な彫刻の施された金のナイフ でも切れ味はサッパリ」 コレじゃ意味がない 駒場にて、なんとなく今と昔と未来の浦和を思う (友人が、俺も年だからもう少しで指定席に行こうかな?なんて言うもんだから、ちょっとね) 試合は勝った、ワシントンはやってくれたけど(w これから少しずつ浦和は良くなっていくと思う。 今のメンバーで出来る事と、出来ない事、適正を掴みつつ 焦ることなく、ミスを減らしながら進めば着実に良くなるだろう これからだ! 追記 サッカー選手の選手としての時間は短い だから僕は浦和の選手達には、たとえ浦和を離れようとも、充実した選手生活を過ごして欲しい 良い思いだけすれば良いのでは無い 歓喜も挫折も、嘆きも、苦しみも、辛さも、感動も 苦味、優勝、降格、ブーイング、野次、困難、叱咤、叱責、 奇跡、勝利、激励、敗北、成績、開放・・・・・・・・ サッカーとそのスタジアムの中で味わえる全てのものを凝縮して経験して欲しい 引退したあとで、きっとその価値に気付くことになると思う 引退したら、味わいたくても味わえなくなるでしょ そして、それをさせてあげることの出来るスタジアムをつくるべきだ サポーターはね! 今年もう一試合、駒場で試合が出来る
by u-straysheep
| 2007-06-21 19:48
| ~向けて・展望&雑感
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