urawa stray sheep
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この写真に写っているもの、なんだか解りますか? 1997.11.16マレーシアのジョホールバル・アルキンスタジアム、 その周辺で多分マレーシア人?の露店で買ったバッタもののTシャツと、右上にあるのはその時のチケットです。 エルゴラッソ、9/7.8号に「Jサポーターと代表サポーターに広がる温度差」というレポートが載っています。 あの頃の僕は、今も愛する浦和と同じぐらい、「日本フットボール界の代表」に愛情を感じていたと思うし、 「絶対に負けられない戦いがある」などと、軽々しく言えないくらい、負ける事に恐怖していたように思う(ワールドカップに行けなくなったら、Jリーグにも影響が出るのではないかと思っていた)。 あの頃のスタジアムは、今では考えられないかもしれないが、メインやバックスタンドにいる人達まで、手を叩き、大きな声で歌い続ける人までいるような状況だった。 浦和のスタジアムが持つ雰囲気とは別物だが、確かに独特な心地のよいフットボールの雰囲気があったと思う。 そんな「日本フットボール界の代表」と、そのスタジアムに違和感を僕が感じ出したのには、2つの出来事があってからの様に僕は思っている。 一つは、ワールドカップ出場決定以降の客層による変化(まるでアイドルタレントのイベントの様な雰囲気)(浦和の人間には耐えられません)、と2002ワールドカップ時のチケット販売方法(低迷期から、サポートしてきた人にとっては?)(僕は行けましたけど、行けない知人は可愛そうだった)により、少なくとも「僕達の代表」とは思えなくなった様に思います。 それともう一つは、日本代表の選手たちの感情的?、心理的?、精神的?、変化にあると思う。 それは、僕の中ではラモス瑠偉と中田英寿の違いに表されていると思っている。 所謂、ドーハ組みと言われる、94ワールドカップ予選を戦った代表の選手達には、これから共に日本のフットボール界を良くしていこうという共通意識があり、サポーターと呼ばれだした僕達も、それを支え、愛するフットボールを、共に日本でもメジャーなスポーツにしようと思っていた。 特にゲームメーカーを務めるラモス瑠偉は、その熱いハートで、カズや他のメンバー(勿論、福田正博もだ!)と共に、「がんばってください、では無く、一緒にがんばりましょう」(当時のラモスの言葉)という言葉に表される様に、チームやサポーターを力強く牽引し、日本フットボール界全体にグルーヴを与え、まさに「僕達の代表」を周知させていたと思う。 98ワールドカップ最終予選頃から、代表にて頭角を現し始めた中田英寿は、同じゲームメーカーでも、ラモス瑠偉の持つ熱さの様なものは感じられず、むしろ自分自身の目的をクールに表現するかのごとき存在となった。プレーヤーとしての技量は以後の実績が示す通りだが、マスメディアによるイメージが多分にあるのかもしれないが、サポーターとコミュニケートする意識などはまるで感じられず、多くのサポーターから見たら、以前は、共に同じ目標を目指していた選手(チーム)との間に、大きな距離を感じはじめるキッカケを作った様に思う。 地元に愛するクラブを持たない人は、日本代表こそが、愛しサポートすべき唯一のクラブなのかもしれない、 しかし、少しずつではあるがJのクラブが日本中に広がり、競技レベルや、サポーターを含めたフットボール文化の向上などがあり むしろ地元にあり、地域に密着した、我らが街の我らがクラブは、 共通意識や、共通の目的を持つ事の出来なくなった、今の日本代表では到底感じることの出来ないグルーブ感があり、一度でもそのグルーブ感を感じてしまうと、今まで以上に距離を感じ、その距離こそが「Jサポーターと代表サポーターに広がる温度差」に繋がっているのではないでしょうか
by u-straysheep
| 2005-09-09 02:48
| FOOTBALL
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